終戦記念日に於ける小泉総理の靖国参拝について【その2】

ああ、それから、A級戦犯分祀がどうのとか言っているバカ野郎も沢山いるけど、そういう奴らの見識の浅はかさにもいい加減うんざりする。そりゃ、表層的に物事を見れば、A級戦犯だと断罪された人たちとそれ以外の人間を分割する事ももしかしたら可能なのかも知れないけど、そういう物の見方は、言うまでもない事だけど物凄く視野の狭い幼稚な世界観だ。流れという事が全然分かっていない。もう少し視野を広げて時間的な流れ、空間的な流れに目を向けたとき、別の言い方をすれば、【時間的空間的流れに於ける「世界を構成する一切の関係性」のドミノ倒し的連続性】に目を向けたとき、ある特定の人たちを死してなお許されざる者達として隔絶する傲慢な行為など、愚かな人間である我々には到底出来はしないということに、そろそろ気づく事が出来るはずだ。

それでも敢えて、より良き明日のために過去の罪を見いだすとするならば、それは取りも直さずあの時代の「外部とのディスコミュニケーション」にその原因の全てを見いだす事が出来る。閉じられた諫早湾の水が腐るように、「外部」を拒絶したあの時代であれば誰であろうが凶行を主導したはずだ。この辺は何度も繰り返し言っているからもう飽きてきたが、自殺者のように、殺人者のように、カルト集団のように、外部とのコミュニケーションを失ったものたちの内部では一切の俯瞰性が失われ、その内部循環の中であらゆる凶行が肯定されるからだ。

此処まで語れば、この国の大多数の国民が中心的登場人物として参加中の壮大なる三文芝居(もちろん喜劇)が現在進行形で執り行われていることが分かってくる。彼らは日本という広大な美しい舞台の上で、お互いに他人の事を最大限に批判しながら、実はその元凶である外部とのディスコミュニケーションを、戦争を起こした最大の原因である他者性の拒絶を、この終戦記念日という良き機会をもってしても、一切修正せず、むしろ益々盛んに推進し続けているのだ。彼らが尊重すべき英霊の顔に泥を塗りながら。

この辺を小泉は分かっている。A級戦犯であろうが愚かで、そして赦されるべき人間の一人に過ぎなかったということが当然に分かっている。だから小泉は分祀などという下らない議論になど耳も貸さずに「A級戦犯を含めた」一切の人たちの御霊に哀悼の意を捧げているのだ。彼とお前たち喜劇役者とは、その世界観に於いて、階層が二枚も三枚も違うのだよ。その絶望的な差異に、いい加減気づきやがれ、この引きこもりの馬鹿野郎ども!!