★最も根元的且つ普遍的なものを顕在化させるにはそれなりの仕掛けが不可欠なのだというアナロジー★ 13:57


2/20付け「finalventの日記」のなかに「意識とは迷いであり、愛の認識とは虚偽である」という極めて本質的なエントリがある。つうか、どれだけの人があの内容を表層であっても誤謬なく理解するだろうか。おそらくかなり少ないだろうと推察される。仮に多くの人があの文章を理解するのなら(それならそれで別に構わないのだが)俺様が今後小説を書く意味がまるで失われることになる。彼が書いたものは、「私とはどういうものか」という最も根元的な疑問に対して答えんとしているものであるし、驚くべきことに、大枠としてはその答えが濁り少なく提示されていると認識するが、表現する物件の性質に対しては表現形態が、歴史的に既にそう証明されているように、充分ではないと思うのだ。


その階層のことを多くの人に伝える為には、物語の勢いを借りたドラマチックな突破力というものが必要なのではないかと俺様は思う。素粒子同士の正面衝突実験には大型の加速器を必要とし、そしてそれらを正面衝突させたときにこそ長らく隠されていた根元的ななにかが一般の元に顕在化するという衝撃的な開眼構造。それらのものはそのような強い衝撃力でもってしか突破・貫通できない堅牢な外殻を有しているように思う。


まぁなんというか、今日まで特に書かずにいたのだが、俺様が2ヶ月前に成田行きの機内で「おおお、そうだったのか!!」とさらにどかんと来たことがあって、それは見性以来の衝撃度だったのだが、その時に理解されたことと同じことをfinalventさんが書いているので、なんとなくリンクを貼るような気分でこういうエントリを書いてみた。