★俺にとっての「普通」がかなり一般的ではないことに何時も驚いてしまうんですが★

  元ネタは久しぶりの切込隊長BLOG。しかし今回は本文に関心があるのではなく、当該コメント欄の幾つかを引用する。


  13 名前: ななしさん :2005年02月14日 22:48 [RES]
  宅間に「氏」をつける隊長の神経を疑う。


  35 名前: ななしさん :2005年02月14日 23:19 [RES]
  お願いします本気です隊長、宅間に「氏」をつけるのはお願いです止めてください
  宅間は人間ではありません自ら鬼畜になりました
  礼儀正しい隊長の癖で人名には何でも「氏」をつけてしまわれるのですね。
  とても素晴らしい癖ですが、今回ばかりはお願いです。宅間は鬼畜です
  人間ではないんですお願いします。
  胸がつぶれそうです。


なんというか、やっぱりこういう感情が一般的なんすかね。だとすると、俺様は相当異端だということになる。


ちなみに、唯一共感できたのが次のコメント。


  46 名前: ななしさん :2005年02月14日 23:35 [RES]
  > 同署員が駆け付けた際、少年は2階の職員室で血の
  >ついた刺し身包丁を左手に持って立ち、たばこを吸っ
  >ていた。


  不謹慎で申し訳ない。
  このときの、少年の気持ちを考えると涙が出てくる。
  この時の気持ちは、一生少年の脳裏に焼き付いて消えな
  いだろう。
  なんというか、人生で初めて、自分で自分の人生を動か
  した手ごたえを感じていたんじゃなかろうか。
  そこに行き着くまでの彼の人生を思うと悲しい。


んでもって、超久しぶりに書き込んだ俺様のコメントがこれ。


  64 名前: けむりん :2005年02月15日 00:28 [RES]
  おひさ。


  俺は、>>46の考え方に共感する。
  そういうことを書くのは簡単ではないのだけれど
  それを見る人のことも考えて境界線ぎりぎりのところから
  書かれた46の文章と知性が好きだ。


  それと、宅間「氏」のことだけど、
  宅間氏と自分との差異があまりに少ないという苦悩を
  抱えながら生きていく強さを持たない人のなんと多きことか。


  その弱さが「人間的」なのかもしれないけど、
  その強さが「人間的」なのかも知れないとも思う。


つまり、俺様は宅間という存在の中に俺様自身の姿を見ている。彼という窓を通して自分の姿が見えるといおうか。


宅間という人間は非常にドストエフスキィ的人物であったと思うのだが、いずれにしても、彼を自分と違うエリアに隔絶するためには何処かで「こちら側」と「向こう側」を線引きしなければならない。しかし、その線引きは容易ではなく、そういう試みをある程度確かなものにするためには結局、「自分」と「自分以外のもの全て」というところで線引きすることに帰結する。


その境界線から孤立感が発生する。さらには自分の一部が引き裂かれ始める。他人には隠し通せても自分には隠蔽できないその一部分が自己認識の歪みを引き起こし、自己欺瞞へと堕ちていく。


正直さだと思う。他人なんか幾らだって騙したって良いさ。自分だけには正直でいなければいけないと思う。自分が見捨てたら、誰が「流れによってはどんなこともやりかねない自分」というそのか弱い一部分を見守ってやれるのだろう。


でもこういう感性って、驚くほどに一般的ではないんだよね。だからもう、殆どのシチュエーションに於いて人に自分の受け止め方を説明する気さえ起こらないことが多いんだけど、ここはまぁ自分のBLOGだから一応書いてみた。


(どうでも良いことだけど、今回は切込BLOGへのトラックバックはなし。つうか、当分彼には絡まないと思う)