★関係体的、あまりに関係体的★

着々とパリ旅行の計画が具体化している。それとともに二日前まであれほどぐったりしていた気分ががらりと変わり、希望が身体に満ちあふれているかのようだ。余所余所しかったニューヨークの街もどこか親和的にさえ見える。
 
こういうとき、人間が「関係体的(今、俺様が作った言葉)」であることがしみじみと再確認される。それ以外の条件はほぼ変わらないのに、一月後に訪れるパリが、「私というもの」に太く直結し、「私というもの」そのものを変えてしまったのだ。そしてその新たなる関係性は、まるで新たに載せられた大きな分銅のように既存の全ての分銅の重心を微妙に変えてしまう。それだけで人間には劇的な変化が訪れてしまうのだ。
 
刹那に繰り返される選択とは、誠に厳しいものだと私は思う。人間は息をつく暇さえも与えられずその選択を要求される。そしてそれは例外なく決定的だ。そういう厳しさをわれわれは何時も忘れようとするものだが、時々思い出してテンションの数値を補正することが必要なのだろうな。でなければ、その弛みがもたらす鞭のような自業自得が、取り返しの付かない局面になってわれわれの顔を容赦なく打つのだから。
 



 
英国のロイヤルバレエのウェブサイトをチェックしたら、幸運なことに、先日来すっかりファンになってしまった吉田都が主演する演目が私たちのパリ滞在中に組まれているのを見つけた。よって一泊二日でロンドンを訪れ三月十日のプログラムを見てくることにした。でもパリの滞在が短くなるのは例え一日であっても耐えられないので、旅行全体の日程を二日増やして、ロンドン一泊パリ十泊とした。つうかパリの滞在がこれによって逆に一泊増えたのだけれど、私というのは何時もこのように子供っぽいのだ。減らしたくなかったから、むしろその間隙を付いて一泊増やす、ただそれだけ。そこに大した理由などないのだけど、こういう子供っぽさが日本でのサラリーマン生活を甘受できずに今のような生活に繋がったのだから、俺様のもっとも大切にすべき部分といえるのだ。
 
既存の航空券の関係上、ニューヨークからパリに行くのに成田を通過していくのだが、この旅行が終わったら、六月末にカプリ(&ローマ)に行くまで3ヶ月ほど日本に滞在しようと考えている。海外に滞在しているという俺様の特異性のひとつが失われるわけだから、日本に帰ればこのBLOGの存続も若干怪しくなるわけだが、また一からやり直すことなど考えられないから、その期間中も細々とでも更新は続けていきたいと考えている。ま、俺様の特異性は、その世界観の広大さにこそ有り、それだけでなくそこに人に頭を下げないですむ経済力が付与されている、というシュールなところなんだからね。
 
禅を知りながらも、徹底的に欲望的である、という深いほうの仏教理解と実践を今後も続けていくつもりだから、その期間中も気が向いたときには時々このBLOGを覗きに来てくれると嬉しっす。よろしこ。