★昨日に対する拘りなど微塵もない★

相変わらず買い物三昧の日々が続いている。もう秋冬のコートは充分買っただろうと思っていたのだが、マジソンアベニューに出掛けたときにジャン・フランコ・フェレに入ったら、彼特有の建築的デザインの物凄く格好いいコートが半額で売りに出されていたのでついつい買ってしまった。半額で2000ドル。日本じゃ定価でも到底買えないだろうなと思うとついうっかり買ってしまうのだ。男だてらに秋冬のコートを6つも持っているヤツはあまり多くないんじゃないだろうか。ほとんどがアルマーニなので一年前に買ったばかりのジル・サンダーのラムのコートがしょぼく見えてしまう。ここ数年で、思えば遠くへ来たもんだ。あまりにも高速で服が増えていくものだから、先日ついにクローゼットの鉄製の棒が曲がってしまった。金属疲労もあったんだろうけど。そればかりでなく、二週間前に4本まとめて買ったアルマーニのパンツやエンポリオで大量買いするTシャツや普段使いのセーターなど、買うだけ買って一度も着てないものが10点ほどある。俺は狂っているんだろうかとたまに思うけど、じつはそんなに心配していない。買えるんだから仕方がない。ただ、そろそろ止めないとリモワのジャンボトロリーを三個持ってきているとはいえ日本に持って帰るのに支障が出そうだ。
 
俺様がファッションに目覚めたのはここ一、二年のことだけど、ひとたび何かに熱中するととことんまでやってしまう性質のせいで此処まで来てしまった。年間20回以上も海外のスパトリートメントを受けたり、先日はついにネイルケアにも手を染めてしまって、いま手も足もクリアーのマニキュアが塗られていたりするのだけれど(欧米では男もマニキュアするんだよ、念のため)、正直楽しくて仕方がない。俺は物心付いてから30歳の見性時までずっと自分という殻の中で退屈しきってきたからだ。だから「変化」に身を任せて過去の自分をゴミ箱に捨てることになんの抵抗もない、というか快感ですらある。ビジネスクラスが常態化するとエコノミークラスに乗っていた自分が終わり(死に)、新しい自分が始まる(生まれる)。ファーストクラスに乗るようになるとビジネスクラスに乗っていた自分が終わる。アルマーニを着るようになるとアルマーニを知らなかった自分が終わり、クラシックやバレエ鑑賞に目覚めるとそれまでホールに行かなかった自分が終わる。全く別の自分になるのだ。一週間前にヴァン・クリーフ&アーペルに行ったときに4億2000万円のピンクダイヤの指輪を着けさせて貰った後のワイフは何かが終わったような表情をしていた。何か強いものをを経験する(通過する)と、何かが終わる。終わらせなきゃダメなんだよ、と俺は思う。「変わらない何か」なんてものは自分というミクロにも、社会や通念というマクロにも有りはしないんだから。そういう高所からのダイビングを経過することができたものだけが、自由に世界を遊泳できるのだから。