雪の降る、場所に貧富の区別まるでなし。その残酷なまでの平等を、黙してただ見つめる。人間の計らいの小さきことを、ただそこに映し見る。

ニューヨークは昨日から近年まれに見る大雪が降り、街中にもれなく厚手の白い絨毯が敷かれているかのようです。除雪車がひっきりなしに通るのだけど、気温が低く(寒暖計で−15℃、体感温度で−20℃を軽く越えている)殆ど溶けることがないので車道を黒く染め直すには至っていない。
 
なんというか、あまり内面を率直に言い表すのは恥ずかしくもあるのだけれど、俺様は太陽の陽光とか今回のような雪の降り方などが均質であることがとても好きだ。どれだけ深遠な思想を開陳しようとも、人に対してこれほどまでの平等性を発揮することがまるで叶わない俺様としては、こういうわれわれを支える全ての現象に、静かなる憧れを抱き、また深き安心を感じてしまう。こういう残酷な平等に包み込まれているからこそ安心して眠ることができる。そう再確認させる今日であった。
 
もちろんこの平等性は、社会的平等意識とはまるで次元を異にする物だ。社会的には人間は徹底的に不平等であり、俺様もそれを自覚的に利用している。また、人間として生きていくためには品格こそ最も重視するべき事柄であるとも思う。存在へのプライドとでも言い換えられようか。しかしながら、そういう差異を全て飲み込んでしまう絶対的な平等というものを腹を据えて見つめ、時に全てを預けてみたくなるのだ。