★「わが国」よりも「俺様キングダム」だろう、と。


どうして切込隊長「日本人」や「日本社会」や「日本のポジション」などという枠組みでものを書くのか。全く理解できない、というよりあまりに前時代的に過ぎてある意味微笑ましくさえある。
 
それは彼がセンチメンタルに過ぎるのか、他人との隔絶があまりにも大きい(と本人が思っている)が為に隔絶の大小に明確な差異を感じられないのか、彼が大衆の要請に支えられたテレビマンだからか、変な責任感からか、あるいは自分の力を過信するほどバカではなくてもあえてその前時代的枠組みに挑戦し続けたいという特攻隊的欲求から自由になれないからなのか、よく分からないが、いずれにしても進化は分化であるという生物史のありようを無視したピンぼけ前提条件であるという批判からは免れられない非効率な情報発信であることは否定できないのではないか。
 
以前、といっても2ヶ月も前のことだからもうずいぶん昔のことに思えるのだが、わたしが彼の膨大な情報発信に最大限の敬意を表して「切込隊長は、自らの生命をわれわれ一人一人に忍び込ませようとしているのだ」と評したときに、「そこまで思い上がっちゃいない」という書き出しのトラックバックをもらって、少しがっかりさせられたことがある。正直、あれほどの書き手ならば、情報発信のひとつひとつというのはそもそも自分の我欲を満足させるためという側面が第一にあることぐらい当然認識していると思っていた。ところが彼がくれた反応は「そこまで思い上がっちゃいない」。そりゃいかんだろ、と。それを受け止めた上で書かなきゃ、最大限の効率を欲望できないばかりか、制御不能大義が勝手にオーバードライブを始めて主体のない何かが自他共に扇動し始めかねないだろう、と。
 
少なくとも俺様は、先日書いた「★日本のマスコミは海外で本当に通用する日本人の報道を意識的に避けているフシがある」にあるように、このBLOGで「日本人」という枠組みを揶揄こそすれ、その大枠に向けてものを書いたことは一度もない。全てのエントリーは、内容のいかんはともかく、須く「おまえ」一人を目的の中心として、ターゲットを限定して書かれている。
 
繰り返しとなって恐縮だが、彼がどうしてああいった枠組みを対象にものを書くのかが一つのエントリーを通して考えてみても全く理解できない。できれば本人からの回答をいただきたいところだが、どうなんだろうね、実際その辺。
 
このことは、彼のBLOGの記念すべき第一回目のエントリーを見つけてからというもの、ずっとわたしのなかに疑問として残り続けている。どうして彼は「私」「私たち」という誠実な主語でBLOGを始めておきながら、何時の間に「日本」や「日本民族」や「わが国」を語るほど「偉大」になってしまったのだろうか。