★日本のマスコミは海外で本当に通用する日本人の報道を意識的に避けているフシがある

ファッション関係のBLOGであるやこさんのところからトラックバックを返して貰ったので、ヨウジ・ヤマモトに関連して少し書いてみようか。
 
わたし自身、ヨウジ・ヤマモトという名前を意識したのは去年パリに在住していたときに知り合ったアメリカ人が彼を強く支持していたからだ。そのアメリカ人は、サンフランシスコ出身のデニス(フランス語読みでドゥニ)といって、パリを拠点の中心として北欧風の家具のデザインをしていて、エストニアンをワイフに持ち、イブ・サン・ローランのブーツを格好良く履きこなすヒップなアメリカ人だった。
 
こういうインターナショナルなアメリカ人は、サンフランシスコ出身という地域性も手伝って、当然のようにブッシュが大嫌いであったが、そんなことはさておき、ファッショナブルな俺とワイフと何時もファッションの話で盛り上がるのは必然だったが、そういう一連の話の初期に言われたことが「どうしてヤマモトを着ないんだ?」ということだった。
 
最初「ヤマモト」と聞いてもぴんと来なかった俺様だったが、いぶかしそうな顔をしながら「なに言ってんだ、彼だよ彼」とファッション雑誌を見せられたときにようやくそれがヨウジ・ヤマモトのことだと理解した。つうか、ワイフにあとから窘められたのだが、ヨーロッパではヨウジ・ヤマモトとレイ・カワクボは日本にいては想像できないくらい当たり前のように超一流として評価されているのだ。(そういえば、パリのヴァンドーム広場にある僅か10店舗ほどの超一流ブランド店街の顔ぶれにも、ブシュロンやヴァン・クリーフ・アーペルやジョルジオ・アルマーニらと並んでコムデギャルソンが普通に店を構えている)
 
ファッションの話をしながら「ヤマモト」でぴんとこないのは、俺様の底の浅さが原因の第一であるのは間違いないのだが、タイトルにあるように、日本のマスコミの性質もこの事象からは透けて見える。海外にいるとよく分かるのだが、日本と世界との境界線をハナから問題にしない日本人の存在を、徹底的にやり過ごそうとする性質が物凄く強い。そしてもちろん、マスコミの報道は、日本に住む日本人の無意識の要請を映したものであるから、引きこもりを続けようとする大半の層にとって、それは都合の悪い情報なのだ。
 
俺は別に、「日本人」という大きな枠で自分が影響力を与えようなどとは思っていないから日本のマスコミなどに変化を期待しないけれども、これを読む読者のなかでインターナショナルな意見や世界観を持とうとするならば、日本のマスコミの情報に不可避的に支えられた日本からの視点だけでは、外側の他人に対する意見という意味においても、また自分が形成するべき広角的世界観においても、全く通用しないということだけは覚えておいた方がいいと思う。そしてインターナショナルな世界観の獲得は、その構造的アナロジーから、宇宙的、物理的・非物理的に境界を横断したインターユニバーサルな世界観の獲得に音叉的共振を見せるからそのことからも物凄く重要なのだ。