★海外ブティックに生息する日本人店員の95%に早く死滅してくれと切に願うエントリー

シャネルやエルメスクリスチャン・ディオールといった海外の有名ブティックには大抵日本人店員が常駐している。パリでもミラノでもローマでもニューヨークでもそれは変わりない。一番多いのが恐らくシャンゼリゼルイ・ヴィトン本店だと思うが、ここには常に3〜5人程度の日本人店員がいて店員の対応を待つ客の列が、「フランス語か英語を話す一般人用」と「日本語しか話せない日本人用」のふたつ存在しているのだから恐れ入る。だいたい、店が混んでいるときで「一般客用」が15〜20人程度、「日本人用」が8〜10人程度のお待ちが出来ているから、それは確かに立派に機能しているといえるだろう。これはもちろん日本人の、世界で一番ブランド品の購入性行が高いという性質と世界でまれに見る言語力の低さのマリアージュがなせる奇異な棒グラフにほかならないが、われわれのような、資金力があって、海外経験も豊富であるためコミュニケーション能力もあり、ショッピング程度なら英語はもちろんフランス語もイタリア語も話すという層には、まったく不必要であるばかりかかなりの確率で気分を害されるインフルエンザウイルスのような存在として彼ら(おもに彼女ら)は存分に機能する。
 
先ず、彼女らの95パーセントは何故かとても横柄である。たかが英語やフランス語やイタリア語が話せるというだけで、「わたしがそれを探してきてあげようか」とか「今日は何がいるの」とか、今日に至ってはシャネルの馬鹿ババアはこっちが普通にアメリカ人店員といろいろ話しているのに「あの〜、なにか?」と、こちらがまるでそのおばさんの京都の家に間違って入り込んでしまったかのような人を見下した態度で背後から突然言うもんだから、びっくりするやら完全に閉口するやらとにかく愕然としてしまう。なにか?、もへったくれもないだろう、と。つうか、フランス語ならともかく、英語を話せるってだけで、あんたどうしてそこまで偉そうにできんの???
 
さらに、この馬鹿を始めとしてほとんどの日本人店員はろくなファッションセンスを持っていない。ファッションセンスとは、「思考」「洞察」と同じく、充分な経験に裏打ちされた仮定と検証の膨大な反復とその履歴の蓄積である。だからこそ、わたしはファッショナブルでいるのが好きだったりするのだが、それはともかく、彼女たちとは美しいものを見てきた経験量も、買い物をしてきた絶対量も、当然所有するアイテムのバリエーションも、おまけに言うなら頭のスペックも、ことごとく違いすぎる。だから同じ日本文化を基礎として生きてきた彼女たちにインスパイアされるものなど何一つとして無く、こちらとしてはむしろ少しでも自分のセンスをカラフルにするために、フランス人やイタリア人(アメリカ人は除く)に応対されながら買い物をしたいのだ。
 
それなのに、彼女たちはセンスがない人間ほど、日本人を見つけると粘着質に付きまとってくる。恐らくそれは、外国人店員の中にあって自分にセンスが無いことを充分に自覚させられており、言葉がしゃべれるということ以外に自分のレーゾンデートルが全くない、ということにうすうす気が付いているため、そのサバイバル本能から内心喜々としてしてこちらに近づいてくるのであるが、弊害ばかりのこちらとしてはたまったものじゃない。態度や言葉遣いが慎重であれば、こちらも丁重にお断りできるというものであるが、彼女たちのコンプレックスがそうさせるのか、上記のような態度や言葉遣いであるものだから、何時も虚を突かれて呆然とさせられてしまう。
 
今日、このエントリーを書いたのは、今後この手の奇襲に対して少しでも耐性を付けておこうとする自己防衛のためで、いやむしろ、今後は少しくらい攻撃を受けたときにのみカウンターパンチの一つも食らわせてやろうかと、自衛隊的反逆姿勢に転ずる為である。彼女たちのような醜い存在が早く死滅しないかと心から願う。もちろん、例えばパリのモンテニュー沿いにあるグッチの日本人女性店員とか、ヴェネチアサンマルコ広場手前にあるブルーノ・マリの女性店員のように、水準以上のセンスとコミュニケーション能力を備えた希少な存在は、この願いの対象からは除外されるのだが。