★批判を受けて

KENさん

今回「相対からの脱却を夢見て」のコメント欄にいただいた批判に対しては、コメント欄で済ますのも閉鎖的かと考え、エントリーにて対応させてもらいました。

受け取り方の違いはあれども、ハンドルネームを使って投稿してもらえたという姿勢には、好感を持っています。

>まあ、言ってることはわかるが、切込BLOGで批判ー論評していた人達のレス内容を勝手にひとつにまとめてプリズナークラスの愚民の言う事だって切り捨てるのは単なるオナニー見解だな。このエントリーでもそうだけどさ、単なる俺は他人とここが違うんだって前々から思ってたことをぶっちゃけているだけで、具体的にあの切込BLOGのコメントと対応させて批判しているわけじゃあないよね。非常に身勝手で雑な批判の仕方だな。<

「愚民」だとはひと言も言っていない。本当に「愚民」だと思うのなら、これだけ時間を使ってこういうエントリーをその人達に向けて発信しない。コストアンドベネフィットのバランスから見てもそれは道理に叶わない。

リズナークラスなどという、エキセントリックな言葉を使っているのは、そういう現状に対してあまりにも無自覚な状況を少しでも明らかにするためとか、ちょっとした試みであるとか、わたしがかなり捻くれた諧謔家であるとか、まぁ色々な理由があるのですが、そういうことを置いておいても、われわれがそう言う特性を強く持っていることはそれぞれに自覚しておきべきことではないでしょうか。わたしがもしそう言う無自覚な状況に置かれていたとしたら、こういう言葉に反発するよりも考え込む方を選ぶと思います。

それと、隊長BLOGのひとつひとつのコメントに具体的に対応させて批判する必要があるのでしょうか。わたしはひとりひとりの人を論破したい訳じゃない。そんなことに一切の価値を感じない。ただ、もちろん、論が雑であるという指摘に対しては反論の余地がありません。

>少なくとも自分が見る限りあのコメント群よりもあなたのエントリーの方が何か深遠な真理をついているとは思えないよ。<

そうですか。これこそ、漠然としていて具体的な指摘がないので対応のしようがないのですが、それでも各個人の印象というのは他人が入り込む事のない聖域ですから、あなたの印象に対してわたしは何らの批判も持ちません。

>それにほとぼりが冷めてからまたビッグマウスを繰り返すのも姑息じゃないの?自分の単なる思い過ごしかね?ちゃんと絡みたいのなら中途半端なことせずに、誤読ならどの部分が誤読とか明確にしてもっかいトラックバックかけて相手にしてもらったらどうかな?適当なこといって自分の安住の地に逃げ込むみたいな印象を受けるよ。エントリーで表明しようとしている姿勢とは真逆に。<

関連するエントリーに関しては毎回トラックバックを掛けているので、ほとぼりが冷めてから、という意味がよく分かりません。「誤読ならどの部分が誤読とか明確にして」というのは「★聖者が月を指差すとき、愚者はその指先を見る」において書いたつもりですが、読まれていませんか?

でも特に切込隊長に相手にして欲しくてたまらないからトラックバックしているわけでもないです。最近では、単なる礼儀のつもりでしています。自分の視点(論ではない)が陳腐かどうかは別にして、こそこそ発言したくないし、一度相手にしてもらった事に感謝しておりますので、関連するエントリーである場合は、隊長が書いた当該エントリーにトラックバックするのが筋かと思ってやっています。

>で、自分はおそらくあなたより資産家だと思うし、ファーストクラスも利用しているわけだが、そういう自分が感じるのと同様の自意識のオーラーというかにおいがプンプンしまくりです。<

自慢するの嫌いじゃないんです。w それに、わたしはあなたより資産家でないと思うし、あなたよりファーストクラスに乗り慣れてもいないんでしょうね。単純に飛行機も好きだし。だからファーストクラス乗るのはとても楽しい。でもそのうち、おそらくあと数年もすればそう言う喜びも失われていくんだろうな、と思うと少し寂しい気がします。でも、正直なところ、ファーストクラスなどに乗っているようではお互い本当の金持ちではないでしょう。こういうことは日本にいては分かりにくい事ですが。

だからあくまでシャレです、シャレ。

>ファーストクラスとプリズナークラスというのはあくまで、アイロニーとしてメタファーとして使ってるんですよwという言い訳は放置するとして、こういうボキャブラリーの多用と、<

これについては、もう書きました。

>日本にいる君たち、パリとNYにいる僕というBLOGのそもそものはじまりからの構図、<

今時、パリとかニューヨークにいることが自慢になる構図ですか?こういう指摘はちょっと意外でした。アホほどたくさん旅行していると、そんなことどうでも良くなりますよ。それこそ、トレンディドラマの見過ぎじゃないでしょうか。

そんなことよりも、世界のどこであれ、今わたしが生きていて、今KENさんが生きている、と言う事の方が感動的な事ではないでしょうか。

>さらに見性を得ている僕、精神世界の初歩に停滞している君たちみたいな、明らかに他者を見下ろす、見下す、自分と思いっきり比較している構図があるんだけどね。<

直列的な相対ではなく、そういう並列的な相対だけに喜びを感じているとしたら、KENさんの仰る「単なるオナニー見解」と言う事になるでしょうね。その判断は、訪問者ひとりひとりの印象にゆだねられる事です。

でも、当然ご承知の事とは思いますが、われわれの住むこの世界は、一から十まで「相対的な世界」ですよ。それから自由になりかけているかどうかは別にして。であるならば、相手に何かを説明するためには、比較対象するしか方法はないのです。

それを「見下ろす」「見下す」と捉えるのは各人の自由。

しかし、人間というのがいかに怠惰であるのか見据えるとき、時としてエキセントリックな言い回しは肯定される、と判断してああいう表現方法を用いています。

KENさんはおそらく、自分が切実に伝えるべき何か、というものを持たれたときでも、もっと上手な伝達方法をお持ちだからこのような印象を持たれるのでしょう。しかし、わたしはそれを知りません。だから、烏滸がましいとは思っていても、いろいろと試しているのです。

>まったく説得力ないよ。BLOGで言っても仕方が無いが、「言動が一致していない」人間の言動だな。<

そうですか。今回こういうご指摘があった事は記憶に留めておきたいと思います。
しかし、今回のご指摘でスタンスを改める事もきっとないと思います。