★視覚可能なものは、すべて嘘っぱち(メタファー)に過ぎない

けん大佐

>>月を見た
>ってのは比喩的な意味でしょうか?

もちろんそうです。一番最初に出てきた「青い月」以外は、わたしは「視覚的に」月を見ているわけではありません。すべて比喩的表現(つまり暗喩=メタファー)です。

>実際視覚的にあらゆるものの中に(or重なって)月が見えたのか、
>あらゆるものはその月と同じく『美そのもの』を内包しているってゆー
>比喩表現なのか、わからんス。
>些末なハナシではあるけど。

>『美そのもの』を内包している
というのも、『象徴としての月』の特徴の一部をあらわしているだけで、それ全体をあらわしているわけではありません。しかしながら、『普遍性の正体』、いや誤解を恐れずに勇気を持ってこの言葉を使ってしまうならば、『真理(真如)』などというものは、直接的表現が原理的に不可能なんですよ。たとえば、アインシュタイン相対性理論におけるE=MCCというのも明快に「真理の一部」を指し示しています。しかし、当たり前の事ですが、視角可能なその式自体が真理なのではない、その指し示す方向にあるなにかをわれわれは見なければならない、ということを今わたしは言いたいわけなのですが、こういう説明って分かりにくいですか?

だからわたしは前回のエントリーで、『普遍性の正体』とか『真理(真如)』という、ともすればその視覚的言葉自体に目がいきがちで、かつ読み手がそれらの言葉に対してそれぞれに持っている既存の印象から自由になりたくて、あえて「そこには目的がない」「これは単なる比喩である」ということ事がより分かりやすい『月』というメタファーを使ったのです。

つまり、わたしが究極的に表現したい、あるいは指し示したい、あるいは、ひとりの人でも良いから邂逅してもらいたいと願っているのは、隠喩としての月の正体、誤解の入り込む余地のない明快な言葉を使えば『それ』『あれ』そのものなのです。

ちなみに、当該エントリー「★ジャン・リュック・ゴダールの遺産」を小説形式で書いたのは、シャレです、シャレ。たまには、ああいう物語形式で書いた方が読みやすいでしょ。w

あ、あと、当該エントリーに「倉木麻衣って結構良いね。」というお題でトラックバックしてくれたderivative_finance(ぐりぐり)さんにも、少し時間をおいてからレスを書くぞ。
その時には気分を変えて「暴言系」でいくから覚悟して待っていやがれ、この野郎!!