★ジャン・リュック・ゴダールの遺産

わたしは映画など作ってはいない。組み合わせているだけなんだ。

僕は、一週間前にふと手に取った雑誌で目にしたフランス人映画監督ジャン・リュック・ゴダールの対談上の言葉をまた反芻した。

わたしは映画など作ってはいない。いままで一度も作った事がない。ただ組み合わせているだけなんだ。その場面、その場面において、最適なカットは厳密にはひとつしかない。最適なズーム、最適なアングル、最適な時間の長さ。わたしはそれを探し、見つけ、そうして得たひとつひとつのカットを、組み合わせているだけなんだ。

僕はこの一週間、何度もこの言葉を反芻した。それでもほとんど理解できていない。ただ、理解できていないけれども、この言葉が僕が今まで出逢ってきたあらゆるインフォメーションとは領域を別にしていることは、出逢った瞬間から確信した。僕は二日前、昔の彼女に電話した。

こんなことを言うために電話してくるなんておかしいと思うだろうけど、聞いて欲しいんだ。誰かに聞いて欲しいんだ。俺はいま、恐竜のしっぽを捕まえている。まだその先っちょしか見えていなくて、この先にどんな恐竜がいるのか分からないけど、これはとてつもなく大きいもののような気がするんだ。ブロントサウルスとかブラキオサウルスとか、ほら、いろいろあるだろ?それはともかく、俺は、このしっぽの先に何があるのか見てみたい。何が見つかるかは分からないけど、何か凄いものがこの先にありそうな気がするし、もうすぐ見つかりそうな気がすることを、誰かに聞いて欲しかったんだ。

最近、特にここ一月ほど、のどに感じる恐怖を伴った圧迫感を、こうして電車に乗って座っているときでも無視できなくなっている。バセドゥ病と診断された僕の甲状腺は、投薬にもかかわらず肥大化を続け、徐々に強く、僕の気管を圧迫し始めている。ここ二週間ほど、かなり呼吸が苦しくなってきている。数値に改善が見られないということで、数ヶ月前から投薬量を増やしたあの町医者の判断は本当に間違っていないのだろうか。目の充血もまたひどくなった気がするし、そんなことより、夜ベッドに入るのが憂鬱でたまらない。人の10倍近くに成長した僕の甲状腺は、ベッドに寝ころんだとき、僕の気管を確かに圧迫する重しとなる。首を絞め続けられているのとまるで同じ不安感と苦しさで、毎晩僕はなかなか寝付けない。死への恐怖感が、深まる夜の闇と共に僕を襲う。明日朝日が昇っても、僕だけには朝が来ないかも知れないと思う。息苦しい。恐怖感で体中が一杯になる。子どもの頃からずっと僕は、死ぬのが恐くて恐くてたまらなかった。それが今まさに眼前にある。

早朝の京阪電車は人が少ない。京都から大阪に通勤する片道1時間が、僕に与えられた唯一の安らぎの時間だ。朝早く家を出なければいけないけれど、冬には朝日が昇りゆくのを、電車のなかから眺める事ができる。それがとても好きだった。いまはもう五月だから、当分それも見られないけど。読書などほとんどしなかった僕が本を読むのが好きになれたのも、この時間のおかげだ。

今日もいつもと変わらない風景が、僕の横を流れている。電線を支える柱の影なのだろう、光と影が僕の本の上を一定間隔で通過していく。僕は時々本から目を離し、外の景色に目を移す。朝日独特の眩しさに包まれた、暖かなる景色。

電車が中間地点の淀のあたりに差し掛かったとき、僕は視線を水平に戻し向こうに見える赤い陸橋を見た。のどかな風景にとけ込みながらも、その赤がきれいだと思った。明日はもう見る事ができないかも知れない赤の色。僕はふと、目をさらに上にあげた。その時、僕はそこに真円の青い月を見た。

美とはこういうものなのか。青い月は、僕がいままで見た全ての存在を超越して、美そのものとしてそこに浮かんでいた。それはもう、月ですらなかった。僕は完全に言葉を失い、その月に僕の全てを奪われた。思い出も、喜びも、考える事も、そして苦しみも。時間の感覚さえももちろんなかった。そして全てが月に奪われたとき、月が僕を鏡に変えて、そこに自らの姿を映し込んだ。

胸板に分身を映し込んだ後、月はようやく僕に自由を与え、そのほかの世界を見る事を許した。流れゆく風、それになびく草、木。朝日を反射する川の水面。遠くの名も知らぬ山。空に浮かぶ雲。一定間隔で通過する電柱の光と影。しかしそこの中にも、やはり僕はもれなく月を見た。僕がいま乗る電車。そして乗客ひとりひとりの中にも。この世界の全ては、石ころひとつに至るまで、僕がいままでそう気が付かなかっただけで、すべては月を内包しており、月そのものであったのだ。

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それから一週間ほどの間、静謐な興奮の中に自らを沈めて極めて幸福な時を過ごした。昼も夜も、景色をただ眺めた。そしてその後、ばらばらになった僕自身の記憶のジグソーパズルを組み立て直す作業に取りかかった。以前はあるべき欠片があるべき場所になかったために、分別不可能で意味不明なモザイクでしかなかったそれらの適正な場所を探しながら。時間の感覚が薄れていたから、はっきりと覚えていないのだけれど、おおよその完成まで二週間から一月かかったように思う。

根元的な不安や悩みはもはや一切消えた。ただ、だからといって、悲しみや怒りや喜びから完全に自由になる事もまたなかった。肉体がある限り、ケミカルな反応からは逃れられないし、そこから派生する欲望も、以前よりはいくぶんコントローラブルになったとはいえ確かにある。思考力もバクが追い出され解析力が上がったと言っても、しょせん自分に与えられたスペックの範囲内だ。誤解からももちろん逃れられない。新たなる大きな問題として、以前には持つ事のなかった悲しみも背中に張り付いた。ひとに伝える事のできない悲しみと苦しみ。僕はそれからそのことで繰り返し、しかも徹底的に打ちのめされる事になる。傷を受け、その傷のあまりの深さに何度も諦めようと思った、いや諦めた。「もう止めよう、俺自身の本質的問題は解決されているんだし、なにより、根底的階層においては、彼らもすでに月の光に包まれているのだから」と。しかし暫くすると、またお節介な事をせずにはいられなくなる。それに最近少しずつ痛みにも耐性が出てきたような気がするし。なにより、すべての理解には経験が伴わなければならないのだから、彼らが差し迫った状況に追い込まれたとき、わたしの今日の言葉が思い出される時が来るかも知れない。その時間のタイムラグこそが、このわたしの希望そのものだ。

どれだけ時間がかかっても良いから、このわたしが肉体的に滅した後でも良いから、あなたひとりに今日の言葉が伝わればいいな、と切に思う。その時にわたしのことが思い出されなくても、全く気にしない。ただ、この胸にあるものを何時かお渡ししたいとは、切に願う。わたしの胸には、まだあの月が輝いている。