★聖者が月を指差すとき、愚者はその指先を見る

そんなわけで、今回は文体を変えて暴言系で行くぜ、この野郎!
いま俺様はリミッターが外されて、正直ノリノリだぜ、この野郎!

derivative_finance(ぐりぐり)さん曰く
>世の中に、常人には見ることができない神聖で深淵な世界が、存在している
>のだとすれば、それに触れてみたい気もする。
>
>でも、今の自分にはそんな胡散臭いものの存在なんて全く信用できないね!!

だれが信用しろと言った?この野郎!!歯を食いしばってそこに立ちやがれ!
俺の今までのエントリー全てを読み返しても、「信用しなさい」「信用してください」「信じなさい」「信じてください」「信じましょう」などという言葉はひとつもないぞ。

俺様のエントリーを俯瞰すれば分かるはずだが、そこに書いてある推奨スタイルは、逆だ。むしろ逆だ。全くの逆だ。「汝、疑いたまえ」「すべてを疑いたまえ」「無自覚に受け入れている汝の前提条件をすべて疑いたまえ・・・この野郎!!」と言っているんだぜ、このすっとこどっこいのスカポンタン

当然、俺様の言う事のすべても疑わなきゃいけないに決まっているぜ、この野郎!
疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、疑って、それでも疑い尽くせぬものはなにかを見極めるべし。そこに残った、いくつかのものは全く関係がないように見えても、全くカテゴリーが違うもののように見えても、同一の周波を内包している。そしてその周波のありようを見つめよ。というのが俺様の主張の片鱗だ。だから、俺様が言っているのは、おまえ達が大好きなファンタジー、フィクション、オカルトの類とは明らかに一線を画す。

それなのに貴様ときたら、「俺はいま完全な空っぽだ」とかなんとか、分かったようなペシミストを気取っちゃいるが、本質的なものを語る奴らはとにかくいかがわしい、そもそもそんな世界(外の世界)などありはしない、などという薄っぺらい前提条件を始め、自分が持っているありとあらゆる前提条件を疑えずにいる。前提条件には当然無自覚なものもあるぞ。だからおまえらはプリズナークラスだと言うんだ。自分を規定する前提条件に縛られ、捕らえられ、壁の外側の世界のありようを知らない。しかも、おまえら精神的プリズナーが一般の社会的囚人よりもさらに劣っているのは、自分が囚人である事を自覚してすらいない事だ。だから、壁の外側の世界のありようなどというすげえものを知らないだけでなく、そのダイアモンドの存在を意識することすらできていない。とにかく、そこから逃げるんだよ、この野郎!自由になるんだ、この野郎!そしてそのためには、まず自分の立ち位置(出発点)がどこにあるかを理解しやがれ、この野郎!でなければ、せっかく俺様がマップを差し出して、第一チェックポイントがどこにあるのか記してやっても、おまえ自身が今どこにいるのか分からないんじゃ、洗濯機みたいにぐるぐる回ってぐるぐる迷うだけで、ゴールへの到達可能性はまったくのゼロだ。永遠のブラックホールだ、この野郎!!

そしてまたまた蛇足だが、「★ジャン・リュック・ゴダールの遺産」の導入部で象徴的に書かれていることのひとつは、そんなどうしようもないおまえ達が第一チェックポイントに至るための、現時点で俺様が知っているもっとも簡単な方法論だ。道元や一休のルートだと、凡人のくせに座禅ひとつもせずにのうのうと暮らしているおまえら(ただし以前の俺様も含む)じゃあ、はっきり言って壁抜けは無理だ。だから、ゴダールのおっさんが示してくれてる、ジグソーパズルのやり方でいってみろ、といっている。

とにかくおまえ達、もっとしっかりしやがれ、この野郎!!!

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ところで話は変わるが、「しっかりしやがれ、この野郎」といえば思い出されるのがみんなのアイドル切込隊長だ。【社会の「8合目に来ている」と思った瞬間に、人は転がり落ちるものである】というエントリー自体はすごく面白かったし、なにより彼の誠実さが強く感じられたから読んでいてとてもありがたかったが、当該エントリーにおける彼の誤読もまたひどかった。

俺様が言う「8合目に立つ」というのは、精神的8合目のことであって、社会的8合目のことなどでは断じてない。社会的な8合目という観点で見れば、たしかに自分がこの辺に立っているなどとおごった瞬間に、すでに崩落は定まっているのだろう。しかしながら、俺様の言う精神的な8合目という観点では、一度ここまで辿り着いてしまえば、もう二度と後戻りする事は、たとえ望んだとしてもできないぞ。なぜなら、何かを自分で変えるのではなく、今まで自分の眼前に見えていたのにただ単に気づいていなかった「何か」に気づくだけだからだ。その瞬間に、いままで0合目や1合目だった足下が、山を登ることなく8合目に変わる。よく新聞や雑誌の片隅にちょこんとある「(二枚の絵を使った)間違い探し」をイメージすれば分かりやすい。初めは、相違点が分からず全く同じものに見えているのだが、一旦相違点に気づくと、それは忘れようと思っても忘れられない当然の事実になる。それと同じこと。だから仏教などでは、この8合目の事を、一度至れば二度と後戻りする事のない新たなるステージ、という意味で「不退転地(ふたいてんじ)」と言うのだぞ、この野郎!

それに、社会的な面で言うならば、俺様こそ、そこまで思い上がっちゃいないぜ、この野郎!自分のポジションの確かさを常に疑い、常に足下をすくわれないか気にしてる。前提条件が何時変わるか分からないと不安な日々を送っている。しかしそんなスタンスは至極当たり前だ。不確定とはそう言う事だ。未来には何が起こるかわかりゃしないんだからな。

それでもまぁ、少し弁護的な立場で見てみると、このBLOGのトップに「ファーストクラスで世界を旅する俺様の〜」ということが書いてあるから誤解しやすかったのかも知れない、とは思うけどね。

ただ、頭が良いのは認めるが、論点のずれだけはいただけないぞ、この野郎!!依然、既存の価値観から完全には自由になれぬプリズナークラスのひとり切込隊長よ、この野郎!!