茂木考5

今日から3泊か4泊、箱根に逗留することにしたので、現在箱根湯本のホテルでこのエントリーを書いている。さっきNHKで放映された『プロフェッショナル 宮崎駿編』を見て気付いたことがあったので早速メモしておく。

宮崎の今回の編を見て一番印象に残ったのは、その制作スタイル、「脳に釣り糸を垂らす」だ。非常に面白いし、明確だと思った。この場合の「脳」とはもちろん、 阿頼耶識(各個人の深層心理に収蔵された生を受けてからの全ての体験のストック)のことだ。彼は、通常のスタイルである「始めに大体の枠組みを決めて、その肉付けを阿頼耶識から引きずり出す」ということをせずに、「阿頼耶識から引きずり出されたものから使えそうなパーツを選んで何かを組み立てていく。当然枠組みは遅行的に完成する」というスタイルを採用する。もちろん、当初から漠然としたイメージは持っているものの、それに極力固執せずに、むしろ阿頼耶識に問い合わせるように組み立てていくのだ。

このスタイルは俺様に新たな発見をもたらした。今日この番組を見るまでは、なんとなく阿頼耶識というものは各個人で独立(孤立)しているのだという既成概念を持っていたのであるが、阿頼耶識は“こちら側”では自分と接続し自分自身を形成しているのであるが、それには“あちら側”があるのであり、それは“あちら側”で一切に接続しているのだと。宮崎はそれに気付いているが故に、それにお伺いをたて、映画の鑑賞者と其処を経由しての接続を試みているのだ。驚愕のスタイル。

いつものことながら真実というのは知ってしまえば当たり前のことだ。蓄積された阿頼耶識というのは、瞬間瞬間、世界との交錯に於いて積み重ねられてきたものだから、その一切のデータには世界そのものが「裏書き」されている。その裏書きが、一見孤立したように見える各個人間の共通言語だったのだ。

なるほどと思わされる出逢いであった。