茂木考4

この世界を絶対的な美そのものだと知る事ほど感動的な事はない。よく言われる機械的な美という事ではなくて、それを更に流動化させた階層において。

それは何によってもたらされるか。茂木健がよく使う言葉を借りれば、それはこの世界の全てに貫通する因果律を見極める事によって、深く見極めれば見極めるほど、暴力的とも思えるほどの圧倒的美の弓矢が我が身を次々と貫く。この世界に孤立して存在するものなど一つとしてない。相互に関係し影響し流動し、ミニマムからマキシマムまであらゆる空間的・時間的スケールでそれらは行われ一時も停止しない。それらを生き生きと感じた瞬間、昨日までの自分は終わる。

彼のブログの昨日と今日のエントリーを見ていると、彼はそういう景色を見ているのだと思う。こういうことを書くと茂木健本人は気を悪くするかもしれないが、俺様とかなりの先端まで同じ世界観であり、リスクを承知で敢えて言うなら、華厳だ。日本で今最も勢いのある文筆家の一人で思想家で脳科学者で、大多数の人たちを幸せにせんと突っ走る茂木健と、確定申告の職業欄は堂々無職のストックトレーダーで旅行ばっかりしている遊び人で、ワイフを中心とした肉親数人と自分の目の前を通過する僅かな人たちだけを幸せに出来ればそれで充分幸せだと思っている俺様が、「同様の景色を見ている」ということを多くの人は(ニューヨーク時代からこのブログを読んでいる人を除いて)きっと信じられないだろうが、洋の東西さえも問わず、年齢ももちろん問わず、あらゆる境遇の人がその気になればその世界を視認可能だということが素晴らしいと俺様は思う。

「全ては許されている」とピカソは言った。それは裏を返せば、全てが許されている土台の有り様を深く看破していたからだ。彼は縦横無尽に境界を飛び越え、宇宙全体をまるでアメンボウのようにすーいすーいと泳いでいった。

滑らかに。憧れるほど滑らかに。

●●●

ところで、因果律という言葉はどうしてもひっかかる。単発且つ単調な印象を与えるからだ。語呂は悪いが「因縁果律」の方が適正ではないだろうか。連鎖的でダイナミックな実態により近いような気がする。