過去に蓄えた情報力とそれを解析する想像力だけが未来へと突破し得る

沢山の来訪どうもありがとう。

なんだかコメントをくれた人たちが投資関係の人ばっかりだったので、今日も何となく相場関係の事を書いてみたりします。ほんとは長らくの休養期間の間に、書くべきネタは広域に積もっているんだけどさ。

内容は、俺様が参考にさせてもらっている数少ない投資系ブログ、「どぐされ外道のディーラー日記」のコメント欄に書いた事の展開なんだけど、四月になってからの相場の特徴は、個人投資家好みの新興・小型株が下落、機関投資家&大ロット個人投資家好みの主力大型優良株が上昇、という明暗が、夏の日差しの最中(さなか)のようにハッキリとした輪郭であるということ。これは普通に見ると、多くの個人投資家ライブドアショック前の成功体験から未だ抜け出せず、液状化現象の地盤の上で、ほとんど全ての人たちがぐずぐずと取り残されいる、というように読める。いや、漠然とはそれで良いのだろう。しかし、もう少し精確にフォーカスしてみると、それにしては明暗がハッキリしすぎているような気がするのだ。つまり、泥沼の上の一部の人たちは、傷だらけになりながらもなんとか生き延びようとして、新興・小型を損切りして主力大型株に乗り換えているんじゃないかと。その動きがあるからこそ、新興はますます沈降し、大型は少しだけ余分に上昇し、そのコントラストがより明確化しているのではないか、と。

最近、個人投資家が上手くなった、という記事を見た。それはもちろん、ネットによる高々度情報化を主因としているのだが、それが現在の相場にも兆しとして現れている気がした。そしてなんだか、傷を帯びながら一大決心をして住み慣れた生息地を変えようとするそのある意味の決死の行動が、魚類から両生類、両生類からほ乳類・鳥類への進化の過程と重なるような気がして、なんだかしみじみと感慨に耽ったりするのだ。

つうか、些細なエレメントからここまで想像を膨らます俺様って、何処かおかしいのでしょうかこの野郎!!