★破壊と再生、始まりと終わり、生と死と。★


ニューヨーク最後の日は、特別な一日となった。四ヶ月あまりに渡った滞在が終わったなどと言う単純な意味ではない。


その日は、昼食が終わってアパートメントのオーナーのジャニスに会いディポジットを返してもらったあと、写真家を目指してニューヨークに来ている恭子の家に招待されていた。恭子は、京都出身の25歳の魅力的な女の子で、現時点では、写真、というより、書道の素晴らしさに瞠目させられる才女だ。その前日、食事に誘った中国人とフランス人のハーフでパーソンズに通っているJia(ジャー)とアパートメントをシェアしている。その彼女から、もう最後だから是非、ということでティーパーティに招待されていたのだ。
ダウンタウンにある彼女の部屋に三時半頃に到着すると、思いも掛けず8人もの仲間がいた。午後から授業を取っているはずの何人かも授業を休んで来ていたし、昼間はパーソンズに行っているはずのジャーも何故かいた。俺は、お土産に持ってきたメゾン・ド・ショコラのガトー・ショコラの数が足りないことを申し訳なく思い、なんだよ、そうならそうと言ってくれよ、と悪びれながら、決して広くないリビングのソファーの真ん中に腰を下ろした。センチメンタルになるにはかなり早いソーホーの午後。特別な日としてではなくいつものように過ごそうぜ、だって、今日が特別な日ならば、今まで俺たちが過ごしてきた日はなんだったんだよ、ということになるからね、と念を押しながら、俺は彼らの精一杯の好意がただ嬉しかった。ゆったりとした時間が流れていた。その平凡な日常に安らかな満足を憶えていた。しかし転換点というのは、いつも突然訪れるように、会が始まって30分ほど流れたときに、思いも掛けないことが起こった。


恭子の姿がさっきから見えないな、とは思っていたら、合図と共に皆が静まり、次の瞬間バースデイソングのメロディが恭子の寝室から聞こえてきた。しかし歌詞の一部が「HAPPY LEAVING」に変えられて。リビングに現れた恭子の手には、ろうそくが灯されたケーキが乗せられている。その歌は、皆の合唱へと変わり、俺の目の前に丸いケーキが置かれる。メッセージチョコレートには「We love ●●」と書かれている。状況を消化しきれず当惑する俺の顔を皆のにこやかな視線が囲む。失われた現実感。本来ならもっと大げさに喜んだり、感動の表情を浮かべるべきなのだろうが、有り得ない現実に、表現が遅れる。ニューヨークを離れ、ファーストクラスの機内に乗り込んで機体が離陸のための滑走を初めてようやく僕は、その時の心情が言葉になった。


「こんな僕に、君たちからそんな風にされる価値があるなんて今まで思いもしなかった」


僕は、子供の頃から物凄く孤独だった。合理的に物事を捉える性格のせいで、「人間的な」周りの人たちから何時も孤立してきた。冷たい人間だと何度も言われた。いや、そうなんだと今では思うけれども、自分を持たない子供の心にその言葉は重く響いた。だから僕は、いつも自分のことを、人間らしく生きるために不可欠なものを何処かに置き忘れてきてしまった出来損ないの非人間だと思って生きてきた。人に慕われる価値のない人間だと思ってずっと生きてきた。そしてそれは、終わりのない唯一のトンネルだと思っていた。しかしそれは違った。他の全ての闇と同じように、始まりがあるものは終わりがあり、入り口のあるものはすべて出口に続いていた。


闇が深ければ深いほど、それの終わりはいつもドラマティックだ。すべての終わりはつまり、あらゆる意味に置いて、結局希望そのものなんだと思う。そしてその瞬間を一度でも多く享受するために、おそらくほとんどそれだけのために、僕はこれからも生きていこうと思う。決して停滞せず、ひたすら前に進んでいこうと僕は思う。苦しみや悲しみはもはや、孤独な片割れではない。世界は、アンバランスを嫌う。行きすぎた苦しみや悲しみは、必ず修正される。その運動こそが希望だ。そのバランス感覚こそが希望だ。


そして、大げさに聞こえるかも知れないけれど、その日僕をすくい上げてくれた彼らとその環境を包括する宇宙の全ては、僕にとって、母性的救済のように思えた。そしてそれこそが、僕が身を委ねることのできる唯一の安らぎだ。