★連続レス その1

前回予告したように、けん大佐の「谷越え」(「壁越え」「見性」)体験への感想を書こうと思っているのだが、その前にいろいろとたまっているトラックバックとコメントへのレスを何回かのエントリーに分けてここで一気に返しておく。そうしておいた方がその体験への感想もよりスムーズに受け入れられそうだし。そういうわけで、ここ数日はレスで行くぞ。

俺様エントリー「★批判を受けて【まとめ】」へのRADIO HAVANAからのトラックバック「けむりんさんとKENさんの論争」より引用

僕個人は「専業トレーダー」っていう職業には何の魅力も感じないんだよね。そしてけむりんさん自身はご自身の現在の職業について何らかの疑問を抱いていないのかということに興味がある。(中略)

僕は思想で人に影響を与えると事はできないと思うし、何か人に影響を与えようと思うなら、それを社会的活動において行おうとすると思うんだよね。専業トレーダーって孤独で、相当な精神力が必要とされる職業だと思う。そして、専業トレーダーを目指す人って、内面的な思考が強くて、人間嫌いの人が多いように感じる。専業トレーダーの中でけむりんさんのように社会とか人に影響を与えたいと思ってる人って少ないでしょ。けむりんさんは言葉で人に影響を与えることを試みてるわけだけど、それを社会的な活動に転化するつもりはないのだろうか。職業としては株価のみと社会と関わって、言葉のみで人に影響を与えようとするだけで、本当にけむりんさんは人生の充実感を得ているのかがもの凄く疑問に思うんです。

やっぱり、僕としては人生の充実感を得られるのは、人とか社会と直接関わることによってだと思うね。


あなたの言うことは凄くよく分かる。しかし、そう言う疑問を持つのは、あなたが「見性(壁抜け)」を経過していないからだ。世界の流動的コミュニケーションの流れがよく見えていない、そう言う場合にのみ、このような懐疑から人は自由になれない。

また、「僕は思想で人に影響を与える事はできないと思うし」と書いてあるが、現時点ではそうかもしれなくても、あなたの腕のなかに「伝えるべきなにか」が乗せられてしまったあとでもそういうことが言えるかどうか、少し想像力を働かせてみて欲しい。先日のエントリーとも少しかぶるが、人は能動的に(選択的に)情報を伝達するのではない、受動的に(不可避的に)それを伝達するのだ。

さて、ここで少しだけ個人的事情を明かしておくと、わたしにとって株式投資で生計を立てるというのは、セカンドオプションであったりする。つまり、本業がもう一つある、ということだ。ただ、ここ数年、それを休んでいる。近い将来、それを再開しても良いかな、と思ってもいる。その職業がどのようなものなのか明確にはできないのだが、それはコミュニケーションに関わる職業だし、広い意味で人を導いていくガイドのような職業だ。そして、その職業に戻ろうと思えばいつでも戻れる、というのがわたしの現状だ。

しかし、だからといって、必ずしもそのファーストオプションを上位に見ているわけではない。正直に言って、あと10年や20年、このセカンドオプションを続けても、心情的にはまったく構わない。あなたが案じているような「孤立感」などわたしには皆無だし、一般的職業における社会的活動とやらで得られる実質的影響力がいかほどのものか、と言う懐疑もある。つまり、他人に与える影響力の選択肢として、「弱く広く」と「強く狭く」というふたつがあると思うのだが、わたしは間違いなく後者を選ぶ。影響力は一次的なものに止まるのではなく、二次的、三次的、四次的と、それが連鎖していくことを知っているからだ。

そしてネット上のBLOGなどよりも、現実社会での実践的コミュニケーションの方をより得意とするわたしは、当たり前のことだが物凄く充実した人生を送っている。もちろん心から愛するワイフもいるし、俺の肉親、彼女の肉親との関係も至極良好だけど、そういうことは別にしても、現時点だけでも、語学学校の多国籍なクラスメイトの幾人かやその黒人講師、あるいはニューヨークの友人の不動産業者N氏(日本人)などに、徐々にではあるが圧倒的な存在感と影響力を示しつつある実感がある。

とにかく、「先ずひとりから」で良いんだよ。自分が大事にしたいと考えている誰か、そのひとりだけで良い。そしてそのあと余裕があれば、もうひとり。そういうスタンスでいれば、後ろを振り返ると、いつの間にか沢山の人に強い一次的影響を与えてきてしまったことにふと気付く。

経済力が社会的生活を送る上において重要な要素なのは言うまでもないが、「見性(壁抜け)後」を前提としたとき、あなたの言うように時間的・社会的制約をもたらす一般的職業は必ずしも必要だろうか。わたしは全くそう思わない。